パソコンは色々なことができます。何でもできる万能感があります。しかし人のために本当になることができるかと言うと、少し考えるところがあります。
震災の時に情報共有のためにTwitterがとても役立ったという話がありますが、実際にその情報を広げているのは人間が行わなければなりませんし、その情報を受け取れる人にしか受け取れないという現状もあります。
壊れた机を治すことはできないし、病気で苦しんでいる人を助けることもできません。
特に非常時は困っていることがたくさん出てきますが、そのほとんどは即時性が必要でかつ物理的に対処しなければならないもので、パソコンの出番はありません。
復興するにしても、瓦礫を撤去したり壊れた道路を直したりすることはパソコンにはできないのです。
パソコンの仕事を専門としている自分としてもこれほど悔しいことはありません。
IT企業が時代の最先端の会社のように聞こえますが、非常時において何かができるかと言うと通信分野でのバックアップくらいで実際に直接的に復興することができるかと言うとなかなか難しく、その会社が得意なことで支援するのではなく支援物資や資金援助といった形でのサポートになってくるかと思います。
そんな中で、復興するためにどんな風にITを活用していけばいいのか、それぞれが持っているパソコンやスマートフォンなどのIT機器を活用できるかを考えてみると、ハードウェア的なサポートはできなくても、心のケアや気持ちのサポートではできることがたくさんあることに気づきます。
震災当時は大きな不安や絶望感があります。先行きが見えないと絶望感を持ったまま過ごさなければなりません。それでは復興に向かって少しでも前に進むということが難しくなります。
先日の記事でも書きましたが、震災時には、戦後から始めなければならないのかという絶望感がありました。しかし、今振り返ってみるとそんなことはなく普通に時が過ぎました。
その事に一刻でも早く気づくことができれば、絶望感で過ごした1か月がもっと短い期間で済んだのかもしれません。
頭の中に思い描いているこれからの不安感は、本当にその通りなのかもしれないし、あるいはそれ以上に悪いことが起きるかもしれないし、全くそのような悪いことは起きないのかもしれないしそれは未来になってみないとわからないのですが、ある程度古希が過ぎた時点で当時と比べてどうなっているのか、それを自分はどう思っているのかを比べてみれば、思っているよりも不安要素が少ないということに気付けるかもしれません。もしも、思っているよりももっと悪いことが見込まれたとしてもそれに対して対処ができるので、二つの時点で比較するということは前を向く第一歩になると思います。
そのためには二つの時点で、目の前で起きている事実と、自分の感じていることを記録しておくことが大事で、それを定期的にする手段として日記があります。ただ、非常時に紙と鉛筆でそういったものを記録すると、記録したノートを失くしたり三日坊主になったりするので半ば強制的に記録することが必要になってきます。そのためには簡単に記録できるような仕組みが必要で、なんなら喜怒哀楽の四つから気持ちを選択するような選択肢が一発で選べるようなものでもいいのかなと思います。Webのサービスを使って毎朝自分宛にそれを入力するメールが自動的に届くようにしたり、そのメールにはクリックしたりしたらその入力する画面がそのまま出てくるとか、そのような仕組みもそれほど難しくなく構築できるはずです。
そしてある程度記録ができたらそれを見直してみることで、自分の認識がどっちに向かっているのか、自分の認識と実際起きている事実との差を自覚することができるので、気持ちの立て直しがしやすくなります。
これは一つの方法論であり、 もしかしたらこれからAI活用などによりもっと直接的に復興に役立つようなコンピューター技術ができてくるかもしれません。心のケアにしたってもっと専門的にカウンセラー的な専門の方が監修した仕組みも出てくるかもしれません。
そういったものが早く一般的に使えるように出てくるといいなと思っています。
次回明日の第4回目は「教訓を1000年後に届ける」です。
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